サッカーと勉強の両立を妥協しない!
元日本代表に聞く文武両道の秘訣

元サッカー日本代表の橋本英郎さんは、サッカーに打ち込みながらも勉強に対しても熱心に取り組み、大阪府内屈指の進学校・天王寺高校、大阪市立大学を卒業。橋本さんに、どのようにして勉強とスポーツの両立を実現できたのか、その中で身についたことについて伺いました。

<教えてくれた人>
橋本英郎さん

元サッカー日本代表 橋本英朗さん

ガンバ大阪ジュニアユースからガンバ大阪ユースを経て、1998年にガンバ大阪に入団。府内でも有数の進学校・大阪府立天王寺高等学校から大阪市立大学経済学部に進み卒業。ヴィッセル神戸やセレッソ大阪、東京ヴェルディなどでプレーし、2023年1月現役引退。日本代表としても国際Aマッチ15試合出場。2012年にプエンテFCスクールを開講し代表に就任。


公園でサッカーばかりをしていた小学生時代

公園でサッカーをする小学生

僕がサッカーを始めたのは、小学1年の時。クラブチームに入り、6年の頃には、週1回、近所のサッカースクールにも通うようになりました。公園でサッカーばかりしている毎日で、成績は算数と体育だけがよく、他は真ん中のレベル(笑)。父親からは口癖のように「勉強しなさい」と言われていました。

僕は3人兄弟の末っ子で、兄が6歳上で姉が3歳上。兄は、中学時代に釜本FC(後にガンバ大阪ジュニアユースに統合)というチームでサッカーを、姉はバレーボールを続けながら、共に大阪府立天王寺高校に入ったんです。小学生の頃から、文武両道の見本が目の前にある環境だったので、僕自身も中学に進んだら勉強とスポーツを両立していくんだろうと漠然と思っていました。


練習と塾が重なる日は、塾を優先

中学からは、兄が通っていたガンバ大阪ジュニアユースと塾を行き来する生活になりました。ガンバ大阪ジュニアユースは、元サッカー日本代表の稲本潤一選手などもいるハイレベルな環境。みんな僕より上手くて、一緒にプレーするのが本当に嫌でした。練習場までは電車で片道1時間、練習は週に4日。塾にも週2日通っていました。中学1年の頃は、練習に行きたくなくて、練習と塾が重なる日は塾を優先することが多かったですね。兄や姉からは「授業を大切にした方がいいよ」と言われていたので、学校の授業はとにかく集中していました。

ガンバ大阪ジュニアユースのハイレベルな環境が辛く、サッカーを辞めたいとは思っていなかったものの、モチベーションは下がっていたんです。そんなある時のこと。僕以上に練習に参加できていない子に対し、コーチが「彼は塾に行って練習には来ないけど、上手いから試合に出す」と言っていたのを友だち伝いで聞いたんです。僕自身も塾に行って練習を休んだりはしていたのですが、それでも自分なりに頑張って通い続けていたし、その子のサッカーレベルが僕よりも上だとはどうしても思えなかったんですよね。そのことがきっかけで「見返したい」と自分の中でスイッチが入って、これまで以上にサッカーに真剣に取り組むようになりました。コーチに「これをやることが大切」と言われたことは、貪欲に吸収しましたし、「続けていけば上手くなれる」と信じて、周囲が10回やっていたことを僕は15回はやっていたと思います。


偏差値75の進学校に合格できた理由とは?

学習をする子ども

土日は試合の後、地元の公園でやっていた社会人の草サッカーに参加していたんです。そこでのサッカーは本当に楽しくて、僕にとっては“オアシス”のような場所でした。
大会で勝ち進んだこともあり、サッカーの練習は中学3年の12月までありましたが、勉強は疎かにせず、塾にも通い続けていました。サッカーの練習がなくなった後は、受験勉強の合間に毎日のように公園に行って1時間くらいボールを蹴っていましたね。偏差値75の進学校に合格できたのは、授業を大切にして基礎がしっかりとできていたことと、勉強の合間にボールを蹴ることで「オン・オフ」の切り替えができて、より勉強に集中できたからだと思います。

母からはサッカーのことも勉強についても、何か言われたことはないんです。逆に、何も言われなかったのがよかったと思っています。中学3年の頃、ガンバ大阪ジュニアユースの練習場所がさらに遠くなり電車で1時間半程かかるようになったので、練習が終わる頃に母が車で迎えにきてくれ、そのまま塾に行くことが多くなりました。車中で母が作ってくれたおにぎりを食べて、そのまま寝て、起きたら勉強して。移動時間が短くなっただけでなく、車中で体力が回復できたので、時間の効率も上がったと思います。


「オン・オフ」を切り替えることで、勉強とスポーツが両立できるように

高校時代は学校とガンバ大阪ユースでのサッカーとを両立する生活に。勉強のレベルが急激に上がったので、中学の時のように授業に集中するだけでは全然追いつかなかったです。練習場まで電車やバスを乗り継いで1時間半程かかったので、移動時間を「勉強の時間」と「寝る時間」に分けて費やしていました。学校の休み時間も同じで、勉強するか寝るかでしたね。午後10時過ぎに帰宅して、それから30~45分は勉強、11時半に寝て、朝7時に起きるというサイクル。とにかく時間がなかったので、限られた時間をどう使えば効率がいいのかを考えるようになりました。高校3年まではプロになれるとは全く思っていなかったので、目標は推薦で大学に行くことと決め、日々、勉強に励んでいました。また、ハイレベルな高校の中で、みんながいつも勉強に真剣に取り組み、切磋琢磨していたので、その中で負けたくないという気持ちが常にあって、勉強も頑張れたんだと思います。

希望する大学に推薦で行けそうだと思っていた高校3年の夏、意外にもガンバ大阪からプロのオファーが届いたんです。プロ契約をすると推薦では大学に行けないことがわかり、悩みました。でも、勉強もサッカーも欠かすことなくやってきた3年間を無駄にしたくはないという思いと、両親からも「大学に行ったほうがいい」と言われたこともあり、推薦ではなく、プロ契約をして大阪市立大学経済学部を目標に受験し、なんとか合格することができました。

今振り返ると、勉強とスポーツの両立ができたのは、「厳しいサッカーの練習や勉強の時間=オン」と「サッカーを楽しめる場所=オフ」をしっかりと切り替えることができたからだと思います。だからこそ、サッカーをやっている時はサッカー、勉強をしている時は勉強と、それだけに集中することができました。また、サッカーと勉強の両立によって時間が限られた分、時間の使い方を考えるようになったんですよね。時間の無駄を減らし、いかに効率を上げるかということが、文武両道を通して身についたと思います。


子どもが将来を描けるような環境を与えてあげること

勉強をする子ども

僕自身、2人の子どもを持つ父親です。今、娘は中学2年、息子は小学5年です。息子は幼い頃はサッカーをやっていたのですが、中学受験に差しかかる小学4年の時に「サッカーは続ける?」と聞いた際、「どっちでもいい」という返事だったので辞めました。僕自身はずっとサッカーをやっていましたが、子どもには無理をしてさせる必要はないと思っています。親のエゴを押し付けるのではなく、子ども自身が好きなこと、やりたいことを大切に育てたいと思うんですよね。小学生時代、僕自身が父に「勉強しなさい」と言われたのが嫌だったので、子どもたちには何も言わないようにしています。ただ、妻からは「もっと言って」と時々怒られますが(笑)。

僕の場合は兄と姉がいて、文武両道の素晴らしい見本があり、将来の筋道をつくってくれていた環境が大きかったと思います。親としては、スポーツや勉強について、いろいろな情報を集めて、子どもの将来につながるような環境を与えてあげること、選択肢を増やしてあげることが大切だと思っています。勉強とスポーツを両立するには、本気でそのスポーツを好きになれるか、また、学校の授業を大切に勉強することが何よりも重要だと思います。勉強もスポーツも友だちと切磋琢磨し、「負けたくない」という気持ちが原動力になるのではないでしょうか。


いかがでしたか?前編では、勉強とスポーツの両立を実現した元サッカー日本代表・橋本英郎さんの体験談を通して、文武両道の秘訣や得られたことをお届けしました。後編では、文武両道の子どもに育てるためのヒントをご紹介します。

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