前編

やりがいがあって長く続けられる仕事で
子どものためにもなることが条件だった

植本 瑛子さん(大分県在住)

大学生の娘をもつママ。大学卒業後に旅行会社に就職し、出産を経て生まれ育った大分県に戻る。自分の中で仕事に求める条件を整理し、かねてより就きたいと思っていたくもんの先生に。2008年6月に第1教室、2017年6月に第2教室を開設。いつも笑顔で、子どもたちの長所を見つけることをモットーにしています。

今回は、仕事に求める条件と胸に秘めていた想いがマッチしてくもんの先生になった植本さんにインタビュー。仕事に取り組む姿勢やそこに込めた熱量、わが子との時間を犠牲にしたくないという想いで子育てに向き合われていることなど、いろいろ話していただきました。

仕事に求める条件を整理していると
真っ先に思いついたのがくもんの先生でした

くもんの先生 植本先生02

私は小学3年生から中学3年生まで、地元の大分県でKUMONに通っていました。恩師と呼べるくもんの先生にはすごくお世話になり、ずっと応援してくれていたので「いつかは先生になりたいな」という想いは、大学に進学した頃から胸に秘めていたんです。大学卒業後は旅行会社に就職し、娘が生まれる直前まで修学旅行などの添乗もしながら働いていましたが、子育てしながら続けるのは難しい仕事だと感じていました。そして、娘が2歳半の時に夫が交通事故で他界してしまったため、実家へ戻ることに。

慣れ親しんだ地元で仕事を始める際、私の掲げた条件は、やりがいがあって長く続けられて、子どものためにもなって人の役に立つ仕事。この条件で真っ先に浮かんだのが、「くもんの先生」でした。両親も私がお世話になったくもんの先生が地域に根ざし、長く続けられている姿をずっと見ていたので、「きっといい仕事なんだろうね」と応援してくれたんです。私自身もKUMONの生徒だったのでイメージがしやすく、何よりもいつかはやってみたいと思っていたので、すぐに説明会に参加しました。不安はなかったですが、気になったのが教室の開設エリア。自分の生まれ育った小学校の校区内で開設したいと思っていたものの、まずは当時引き継げる教室の中で、通っていた高校のすぐそばの教室があったので、そこで2008年6月に教室を開設しました。

そして、そのタイミングとほぼ同時期に、恩師のくもんの先生から頼まれ、通っていた教室でスタッフとして働き始めたんです。教室日もかぶっておらず、いつかは開設したいと思っていた小学校の校区内の教室だったので、先生と教室スタッフの二足の草鞋にチャレンジすることにしました。掛け持ちしたことで地域性の違いを知り、一気にたくさんの子どもたちとも出会えたので、すごく勉強になりましたね。子どもたちに対する恩師の話し方や温かい言葉選び、保護者の方々との接し方などを間近で学べたことで、私の中の辞書がどんどん厚くなっていった気がします。そして、学んだことを自分の教室で実践していく、そんな毎日でした。

両親のサポートのおかげで
私はわが子と過ごす時間を大切にできました

くもんの先生と教室スタッフの掛け持ちでスタートした私のKUMONライフは、両親のサポートがあったからこそ続けてくることができました。両親からは「子どものことを一番にしなさい」と言われていたのもあり、子育ての面で言えば、私はわが子との時間を犠牲にしないようにすることを一番に考えて生活していたと思います。また、くもんの先生の仕事は昼間の時間をうまく使えるので、幼稚園や小学校の行事にもしっかり参加でき、日々の小さな成長も見逃さずに過ごせていました。

くもんの先生 植本先生 子どもの応援

それと、なぜかわかりませんが、PTAの役員なども頼まれがちなんです(笑)。幼稚園や小学校でもいろんな役員を任され、わが子をはじめ、たくさんの子どもたちの活動をサポートできたのもいい思い出になっています。学校に行く機会も多かったため、いろんな情報も得られましたし、KUMONに通っていない保護者の方々からも教室のことを尋ねられたりと、いろんな方とお話ができて、私にとってはすごく楽しい時間でもありました。

私の場合、子育てと家事を両立するような秘訣はありませんが、くもんの先生の仕事も娘との時間も、学校のことも、全てが中途半端にならずに取り組めたのは両親のおかげなんです。

最終教材まで進んで大学生になった娘は
帰省の度に教室スタッフのお手伝いをしてくれます

私がくもんの先生になったのは娘が3歳の時で、その1年前からKUMONを学習していたので娘にとっては、物心ついた頃からKUMONがあるのが当たり前の生活でした。こだわりの強い子で、子育ては簡単ではなかったですが、くもんの先生としてたくさんの子どもたちと出会い、保護者の方々とコミュニケーションを重ねる中で、それぞれに得手不得手があることを実感。保護者の方々から教えられることも多くありましたし、逆に私の経験を伝えて共感し合えることも多々あったので、日々の子育てと直結するような仕事だなと感じています。

くもんの先生 植本先生03 娘と先生

娘は最終教材まで終えて、今は大学生になっています。帰省している時には、教室スタッフとしてお手伝いもしてくれているんです。「私の知識はほとんどKUMONのおかげ。本当にやっててよかった」と言っていて、そんな娘だからこそ子どもたちの気持ちがより深く理解できるようで、ちょっとした声かけなどがすごく上手なんです。声をかけてほしいタイミングがわかるらしく、その時に適切なアドバイスをすることで、その生徒さんもすんなりと受け入れることができる。そばで見ていても、すごいなって思いますね。

そんなこともあってか、KUMONのことで会話がとても盛り上がるんですよ。逆にKUMONがなかったら、何を話していたんだろうって思うくらい(笑)。私たち家族にとってKUMONは、本当に大切な存在なんです。それに私自身の変化で言えば、たくさんの子どもたちと出会ってきたことで、一人ひとりの長所を見つけるのが得意になりました。もし今、生徒さんの名前を一人挙げてもらえれば、たくさん話せますよ。子どもたちの長所が見えるからこそ、それを生かした指導ができて、成長を応援できる。あなたは大丈夫だよ!って。これは本当に幸せなことだなって思いますね。

くもんの先生 植本先生04

撮影:栗原 康 イラスト:宮城 奈月  文:前出 明弘

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