子どもの頃に憧れていたくもんの先生、
「いつかやってみたい」という願いを叶えて

野坂妙子さん(山口県在住)

高校3年生の男の子と1年生の女の子、中学2年生の男の子のママ。家族の心強いサポートを得て、もともとしていた公文式教室でのスタッフの仕事も継続しながら、別の教室でくもんの先生に。家族仲良く、お互いに感謝し合える関係を大切にしています。

2つの仕事をかけもちしながら家族との時間も大切にできる。
こんな充実した日々が送れるのは、家族みんなの協力のおかげです

子どもの頃、姉妹で近所のKUMONの教室に通っていた野坂さん。楽しく学習していたこと、赤ペンの大きな丸や100点をもらってうれしかったことなどが印象に残っていて、くもんの先生に憧れていたそうです。幼稚園の先生も大好き、小学校では担任の先生に作文をほめられたことが励みになり「先生になりたい」という夢を抱くように。短大卒業後、地元の会社で事務の仕事をして、結婚後は専業主婦になり、「子育てが落ち着いたら、自分のやりたい仕事を探そう」と考えていました。

くもんの先生を始めてから、家族が自然に家事に協力してくれるようになったそうです。もともと「自分のことは自分で」「食べることを大事に」と子育てをして、早くから包丁を持たせていたそう。野坂さん自身が「家事はスピーディーに!」と効率化していることもあり、子どもたちもそれぞれが考えて動いてくれるようになりました。家族のお弁当を長女が作り、朝食は各自が食べたいものを用意して食べる、夕食は早く帰宅した人が作る、お弁当箱は自分で洗うなど「家族みんなの生活能力が上がっていると実感しています」と野坂さん。そして、夜は子どもたちと一日の出来事をゆっくり話したり、空いた時間にいっしょにゲームや動画を楽しんだり、仕事のない日は家族みんなで食事をとるなど、家族との時間も大切にしています。家族のサポートがあるからこそ、充実した日々が送れることに感謝し、日頃から「ありがとう」と言葉にして伝え、「おはよう」「おやすみ」「いってらっしゃい」など挨拶をきちんとすることで、家族仲良く、お互いに感謝し合える関係ができています。

子どもが小さいうちは自分が子育てしたい。
その後、ずっと憧れていたくもんの先生へ

きっかけはくもんの先生募集の折込チラシでした。かつての夢を思い出し、説明会に参加しましたが、当時は次男がまだ1歳。時間的な余裕がなく、条件に合う教室の場所も見つかりませんでした。しかし、すぐに開設しなくても自分の状況が整った時にスタートできる制度があることを知り、しばらく待機することに。その後、わが子が通う教室の先生からのお声がけで教室スタッフとして働き始め、やりがいも楽しさもあるスタッフの仕事に満足していたといいます。次男が小3になり子育ても落ち着いてきたタイミングで、以前に暮らしていたなじみのある場所での教室引継ぎの提案があり、開設を決めたのだとか。「待機していたというよりは、教室スタッフとして楽しく働いていたら7年経っていたという感じでした」。

教室ではくもんの先生として一人ひとりの力を伸ばせるように学習をサポートし、また他教室のスタッフの仕事で得た学びや気づきを自身の教室にも反映しているそうです。子どもたちが無理なく学べるようにと考えているとあれこれ悩んでしまうことも。そんな時は先輩や同期の先生に相談して、アドバイスやヒントをもらって解決して、また悩んで相談して、ということをくり返しながら経験を積んできました。「とにかく子どもを苦しめちゃダメ」というある先生の言葉が心に響き、ずっと大切にしているといいます。「『大きくなったらくもんの先生になりたい』、と生徒に言われたことがあり、私もくもんの先生に憧れていましたから、とてもうれしかったです」と笑顔で話す野坂さん。長年の夢を叶え、自分の子育ての経験を生かしながら、子どもたちの成長と歩みを見守る仕事への喜びとやりがいが伝わってきました。


幼稚園入園前から2人の姉といっしょにKUMONを学習。赤ペンの大きな丸がうれしかったそうです。上の3姉妹で映っている写真の右側が野坂さん。

白と黒の生地で作る金太郎飴のようなクッキー作りが趣味。長男もホワイトデーのお返し用に挑戦。

お子さん手作りのお弁当。家事に協力してくれる家族に「ありがとう」と感謝し合える関係を心がけているそうです。


野坂さんの1日のスケジュール

くもんの先生の募集についてはこちら

あわせて読みたい

前へ
次へ

新着記事

前へ
次へ