わたしの夢中が育っていく -KUMON STORIES-

「夫と娘に背中を押されて」Baby Kumon保護者から、くもんの先生になるまで

くもんの先生の中には、もともと保護者としてKUMONに関わっていた方も少なくありません。長野県で2つの教室を開設している横山知美先生も、Baby Kumonの保護者としてKUMONと出会い、くもんの先生としての道を歩み始めました。今回は、Baby Kumonに通い始めたきっかけから先生になるまでの道のり、その背景についてお話を伺いました。

※Baby Kumonとは、オリジナル教材と月1回のBaby Kumonタイムで、くもんの先生が0・1・2歳の親子のやりとりをサポートするサービスです。

Baby Kumonに通い始めたきっかけ

当時、私は専業主婦で子育てに専念していました。長女が2歳のとき、仲良くなったママ友から「近くのKUMONの教室で、“こそだてちえぶくろ(※)”という子育て支援プログラムがあるんだけど、一緒に行ってみない?」と誘われたのがきっかけでした。これは、0~3歳の子どもとその保護者がKUMONの教室に集まり、歌や絵本の読み聞かせなどを通して、親子の時間や交流を楽しめるプログラムです。長女は、ハサミの使い方をここで覚えました。

当時は月に1回ほどの開催で、同じくらいの月齢の親子が5〜6組集まっていました。ほかの保護者の方と情報交換もできて、とても楽しかった記憶があります。何より、先生がとっても素敵だったんです。物腰やわらかで上品な話し方のなかに、強い信念を感じさせる方で、心に残っていました。

その後、次女が生まれて7か月の頃、「この子にも何か働きかけをしたい」と、“こそだてちえぶくろ”と先生のことを思い出し、久しぶりにお会いしたいという気持ちもあり、お電話をしました。すると、今はBaby Kumonというサービスに進化したことを伺い、詳細のご説明を受けて、迷わず申し込みを決めました。

(※)0~3歳のお子様とその保護者がKUMONの教室に集まり、歌や絵本の読み聞かせなどを通して、親子の時間や交流を楽しめるプログラム。

夫と娘の支えがあり、
教室開設を決意

もともと営業の仕事をしていて、長女を妊娠した当初は仕事に復帰するつもりで、産休・育休を取得しました。でも、実際に子育てが始まると「しばらくは子どもと一緒に過ごしたい」という想いが強まり、専業主婦になる道を選びました。

次女を出産後、「やっぱり社会復帰したいな…」という気持ちが芽生えてきた頃のことです。次女と一緒にBaby Kumonに通っていた際、教室を訪れていたKUMONの担当スタッフの方から「横山さん、くもんの先生に興味はありませんか?」と声をかけられたのです。最初は「私が先生なんて、とんでもない!」とお断りしましたが、「説明会を聞くだけでもどうですか?」と明るく背中を押され、ちょうど働きたいという気持ちが高まっていたタイミングだったこともあって、心が動きました。

普段はかなり慎重に物事を決断する夫が、「説明会に行くだけならいいんじゃない?」と意外にも後押ししてくれたこともあり、説明会に参加してみることにしました。先生のお話が直接聞ける説明会だったのですが、その先生がとても輝いておられ、もちろん不安なこともありましたが、それ以上に「私もこんなふうになりたい」と強く感じました。また、娘がお世話になっていた教室の先生も同じように魅力的で、お二人に共通する“くもんの先生としての輝き”の源を知りたいと思ったのが、先生を目指す大きなきっかけになりました。

両親が教員という家庭で育った夫は、くもんの先生という仕事にも理解を示してくれて、非常に協力的でしたが、当時同居していた義母は猛反対。特に、教室の時間が夕方から夜にかけてであることから、「子どものお迎えは?夕飯はどうするの?」と厳しく反対されました。

私が「くもんの先生になる」と覚悟を決めたのは、小学校低学年だった長女の一言。何度も義母を説得し続けるなかで心が折れかけていたとき、泣いていた私の肩をポンとたたいて、「ママ、くもんの先生になって!私が応援するから」と声をかけてくれたのです。「やっぱり私は私の人生を歩みたい」と思い、もう一度、夫と一緒に義母に話をしました。夫が「お母さんが無理なら、俺が協力するから」と、義母に丁寧に説明してくれて、最終的に義母は受け入れてくれました。

KUMONの担当スタッフの方も、そうした家庭の事情を理解し、温かく見守ってくださっていました。実際、開設までには1年以上かかりましたが、家族の支えのおかげで無事に教室を始めることができたのです。

教室を開設してからは、義母も私たちを支えてくれました。教室を自宅の近くに構えたこともあり、最終的に義母の介護が必要になった時は見守りカメラをつないで、いつでも様子を確認できるように。何かあったらすぐに駆けつけられるよう、家族で協力しながら体制を整えていました。

私がくもんの先生をここまで続けられたのは、家族の、そして義母のおかげでもあります。心から感謝していますし、最後にしっかりとお世話できたことに大きな満足感があります。仕事をしながら介護をしていた日々は、大変でしたが、私にとって本当に大切な時間でした。