わたしの夢中が育っていく -KUMON STORIES-

学ぶ力は、生きる力になる。
父親のわが子への愛情から生まれた、KUMON誕生ストーリー

世界の60を超える国と地域に広がっているKUMON(2023年9月現在)。全世界で約21,800人のくもんの先生が、国・地域に根ざして学習指導を行っていますが、公文式がどのように生まれたかご存じでしょうか?公文式はビジネスのために開発されたものではなく、ある一組の親子の間で生まれた教育法でした。そんな公文式の誕生のストーリーをお届けします。

人から教わるのではなく、
自分の力で解くから本物の学力が身につく

公文式が始まったきっかけは、今から70年ほど前にさかのぼります。高校の数学教師だった公文公(くもん とおる)は、妻と3人の子どもたちと大阪で暮らしていました。初夏のある日、妻は小学2年生の長男、毅(たけし)のポケットから算数の答案用紙を見つけ、得意なほうだと思っていたわが子にしては点数がよくなかったため、心配して公に相談したそうです。「小学校のうちは健康第一で体力をつけておけばよい」と考えていた公でしたが、妻に頼まれて毅の算数の勉強をみることに。しかし、市販のドリルなどをやらせてみたものの、なかなか続けることができず、わが子のための学習教材をつくることにしたのです。その時に大切にしたのは、「子どもが自主的に学習していく姿勢を育てることこそが教育者の務めである」という、自らの考えを反映させることでした。


学習を開始した昭和30年頃の公文公と、小学2年生頃の長男の毅。

自主性を育むために、毎日無理なく自習し続けることができ、なおかつ着実に学習効果を高めるには、どんな学習教材が最適なのか。高校で教鞭をとっていた公は、計算力がないために多くの高校生が数学の勉強で苦しんでいることを知っていたので、計算力の養成に絞り、自学自習形式で学べる教材を手書きでつくりました。人から教わるのではなく、自分の力で解き進めるからこそ本物の学力が身につくことを、自らの教育体験によって実感していたからです。毅は夕食前に毎日30分、父親の考案した教材を解き、母親がそこに寄り添う。そして、毅が寝ている間に公が採点して、間違えたところに必要な場合だけアドバイスを書いて戻し、直しをさせる。100点になったところで先に進める、という方法で学習がスタートしていきます。


KUMONの教材の原型となる、1954年に公文公が毅のために手作りした学習教材。

子どもたちは本来、
自ら伸びようとする力を秘めている

公は、わが子が今「何ができて、何ができないのか」を細かく観察し、毅が無理せず自分の力で解き進めることができるように、学力の伸びに合わせた学習教材を毎日作り続けていました。毎日30分の自学自習でみるみる力をつけていくと、小学6年生の夏には高校の微分・積分ができるように。また、頼まれて近所の子どもたちを自宅に集めて同じ方法で指導したところ、どの子の学力も目に見えてあがり始めたのです。「この方法で、一人でも多くの子どもたちの可能性を伸ばしてあげたい」と思った公は、1958年に事務所を開設し、もっとたくさんの算数教室を開くことを決意。「自学自習で高校教材」を目標に掲げ、能力に応じた内容を自習させることで、一人ひとりの能力を伸ばしていく。そうして公文式教育法の本格的な普及が、始まっていきました。


公と夫人が二人三脚で指導していた、1965年頃の豊中上野坂教室の様子。

子どもたちは本来、自ら伸びようとする力を秘めています。読み・書き・計算に取り組む過程で「やればできる」という自己肯定感を育み、「自ら学ぶ力」を育てていく。どんな時代でも夢や目標に向かってチャレンジしていける力、すなわち自分で自分の人生を切り開いていく「生きる力」を育てることが、KUMONの考える教育です。わが子を想う父親の愛情から生まれたKUMONは、人から人へ、街から街へ、そして世界へと広がり続けています。そして、今日も世界中でたくさんのくもんの先生が、子どもたちの未来のために学習を通じて成長をサポートしています。


公文公(左)と、長男の毅。

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